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ド・ブロイ波(4)

渡邉孝信(早稲田大学・電子物理システム学科)

位相一致の法則の式

$$2\pi\nu_1 t = 2 \pi \nu_2\left ( t-\frac{x}{V_\theta}\right )\tag{3.3 再掲} $$

を、ローレンツ変換を意識して再検討してみましょう。

 ある慣性系\(S\)の時空座標を\((t,x,y,z)\)、\(S\)に対して相対速度\(v\)で\(x\)軸方向に移動する別の慣性系\(S^\prime\)の時空座標を\((t^\prime, x^\prime,y^\prime,z^\prime)\)とすると、両座標系は次のローレンツ変換で関連づけられます:

$$\begin{eqnarray}t^\prime &= & \frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}}\left (t-\frac{vx}{c^2} \right )\label{lorentz}\tag{4.1}\\x^\prime &= & \frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}}\left ( x-vt\right )\tag{4.2}\\y^\prime&=&y\tag{4.3}\\z^\prime&=&z\tag{4.4}\end{eqnarray}$$

 ここで、慣性系\(S^\prime\)において

$$\sin (2\pi\nu^\prime t^\prime)\label{sinewave}\tag{4.5}$$

という振動現象が起こっているとしましょう。式(\ref{sinewave})の正弦波は\(x^\prime\)を含んでいませんが、あえて

$$\sin \left (2\pi\nu^\prime t^\prime-2\pi\frac{x^\prime}{\infty}\right )\tag{4.6}$$

と書けば、これは波長無限大の波、つまり\(x^\prime\)軸上で一様な振動現象を表していることになります。

 この正弦波にローレンツ変換の式(\ref{lorentz})を適用すると、

$$\sin (2\pi\nu^\prime t^\prime)=\sin \left ( 2\pi \nu^\prime \frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}}\left ( t-\frac{vx}{c^2}\right )  \right)\label{sinewave2}\tag{4.7}$$

となります。\( \nu=\nu^\prime\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}}\)、\( V_\theta=\frac{c^2}{v} \)とおくと、式(\ref{sinewave2})の位相部分は

$$2\pi\nu^\prime t^\prime = 2\pi\nu\left ( t-\frac{x}{V_\theta}\right )\label{phasematching2}\tag{4.8}$$

と書けます。前回示した位相一致の法則の式

$$2\pi\nu_1 t = 2 \pi \nu_2\left ( t-\frac{x}{V_\theta}\right )\label{phasematching}\tag{3.3} $$

とよく似てきました。


 前回の議論では

$$\nu_1=\frac{mc^2}{h}\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}},\;\;\; \nu_2=\frac{mc^2}{h}\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}}$$

としていたので、これを式(\ref{phasematching})に代入してみます。

$$2\pi\frac{mc^2}{h}\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}} t = 2 \pi \frac{mc^2}{h}\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}}\left ( t-\frac{x}{V_\theta}\right )\tag{4.9}$$

ここで、粒子と一緒に動く慣性系\(S^\prime\)から見た、粒子に付随する振動数を\(\nu^\prime=\frac{mc^2}{h}\)とおくと、さきほど定義した\( \nu=\nu^\prime\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}}\)も使って、

$$2\pi\nu^\prime t \sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}} = 2 \pi \nu\left ( t-\frac{x}{V_\theta}\right )\tag{4.10}$$

が得られます。\( t\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}\)は\(S^\prime\)系の固有時間なので、\(t^\prime = t\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}\)とおけます。したがって

$$2\pi\nu^\prime t ^\prime = 2 \pi \nu\left ( t-\frac{x}{V_\theta}\right )\tag{4.11}$$

となり、式(\ref{phasematching2})と一致しました。

 このように「位相一致の法則」は、波の位相がローレンツ変換しても変わらないという、当然の要請のことを言っているに過ぎないことがわかります。


 以上の議論を踏まえて、位相一致の法則のアニメーションをブラッシュアップしてみました。今度は粒子内部の振動と位相波を重ねて示し、位相一致の法則が空間のいたるところで成立することがわかるよう、横にたくさん粒子を並べています。

 縦に複数の波を並べたのは、速度\(v\)との関係を示すためです。最上段は\(v=0\)、すなわち、\(S^\prime=S\)の特殊ケースです。下段に行くほど、粒子の速度\(v\)が光の速度に近づきます。ローレンツ収縮を意識して、粒子の幅も進行方向に縮めて示しています。粒子の速度\(v\)が大きくなると、赤線で示した位相波の振動数は増えていきますが、位相一致点の青玉の振動は、時間の遅れを反映した、ゆっくりした動きになっていきます。

 以上のように、速度\(v\)で運動する粒子に、\(h\nu=mc^2\)で振動数を結び付け、なおかつローレンツ変換とも整合する描像を得ることができました。

 速度\(v\)で運動する粒子との位相一致点は、上のアニメーションで示したとおり、空間上の至る点にとることができます。もし、先に波動が与えられたとして、空間の特定の位置を占める粒子の描像を得るにはどうしたらよいのでしょうか?

 ヒントはすでに、このページの一番上の、アイキャッチ画像に示してあります。次回、いよいよ波束(ウェーブパケット)の群速度と粒子の描像の関係について説明します。

(次回につづく)

ド・ブロイ波(3)

渡邉孝信(早稲田大学・電子物理システム学科)

熟考の末、ド・ブロイは矛盾を解決するアイデアを思いつきました。それが、今回紹介する「位相一致の法則」です。


位相一致の法則

速度\(v\)で移動する粒子の内部で振動現象が起こっており、その振動数は静止系からみて

$$\nu_1 = \frac{m_0c^2}{h}\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}\tag{3.1}$$

とする。この振動の位相は、位相速度\(V_\theta=c^2/v\)で前進する

$$\nu_2 = \frac{m_0c^2}{h}\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}}\tag{3.2}$$

という振動数をもつ波の位相と、粒子が存在するその1点において常に一致する。すなわち、

$$2\pi \nu_1t = 2\pi \nu_2\left ( t-\frac{x(t)}{V_\theta}\right )\tag{3.3}$$

ここで\(x(t)\)は、静止系の時間\(t\)の間に粒子が進む距離。


この位相一致の法則のイメージをアニメーションで示すと、こんな感じです。

上段が速度\(v\)で移動する粒子。その粒子の中で上下運動している青玉は、振動数

$$\nu_1 = \frac{m_0c^2}{h}\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}$$

で振動しています。

 一方、下段の赤い波が、位相速度\(V_\theta=c^2/v\)で前進する

$$\nu_2 = \frac{m_0c^2}{h}\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}}$$

という振動数の波です。

 上段の青玉と下段の赤線で示した進行波は、全く異なる振動数で振動しているのですが、速度\(v\)で前進する粒子の位置、その1点に注目してみると、位相が完全に一致していて、同期していることがわかります。

 位相一致の法則の証明はむずかしくありません。


位相一致の法則の証明

時間\(t\)の間に粒子が進む距離\(x\)は\(x=vt\)だから、\(t=x/v\)。よって振動数\(\nu_1\)で振動する波の位相は、時間\(t\)の間に

$$2\pi\nu_1t=2\pi\frac{m_0c^2}{h}\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}\frac{x}{v}\tag{3.4}$$

だけ進む。一方、

$$\nu_2\left ( t-\frac{x}{V_\theta} \right ) = \frac{m_0c^2}{h}\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}}\left ( \frac{x}{v}-\frac{vx}{c^2}\right )=\frac{m_0c^2}{h}\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}\frac{x}{v}\tag{3.5}$$

であるから、

$$2\pi  \nu_1t =2\pi \nu_2\left ( t-\frac{x(t)}{V_\theta}\right )\tag{3.6}$$

が成り立つ。Q.E.D.


 以上から、ド・ブロイが\(h\nu=mc^2\)で結び付けたかった振動現象は、上のアニメーションで赤線で示した、空間上に広がる波であればよさそうなことがわかってきました。この波は、位相速度\(V_\theta=c^2/v\) で粒子と同じ方向に、粒子を先導するかのように進みます。粒子の速度\(v\)と関係しているのです。この位相速度\(V_\theta=c^2/v\) の波を、ド・ブロイは「位相波」と名付けました。粒子の速度は観測者によって変わりますから、位相波が進む速度も観測者によって異なることになります。

 注意していただきたいのは、この位相波の速度\(V_\theta=c^2/v\) は光よりも速いことです。相対性理論によると、物体が光の速度を超えることは許されないので、ド・ブロイは、この位相波はエネルギーや情報を運ぶことは決してないだろうといっています。

\(V_\theta=c^2/v\)は光速を超える!

 

 位相波の速度\(V_\theta=c^2/v\) は、\(v\)が大きくなるほど減少し、\(v=c\)の極限で\(V_\theta=c\)となります。粒子の速度と位相波の速度が一致するのです。ド・ブロイは光学と力学の統一を目指していたので、光子にもこの関係が適用できると考えていました。現在の物理学では、光子の質量はゼロというのが標準的な考え方ですが、ド・ブロイは、光子にもごくわずかなから質量があると考えていたようで、光子の速度\(v\)はいわゆる光速度\(c\)より若干遅く(おかしな言い方ですが)、光子の位相波は、光子よりほんの少しだけ速く進むと考えていました[1]

[1] ジョルジュ・ロシャク著,宇田川博訳「ルイ・ド・ブロイ 二十世紀物理学の貴公子」国文社(1995)

ド・ブロイ波(2)

渡邉孝信(早稲田大学・電子物理システム学科)

 ド・ブロイがなぜ、電子も波動性を有するという、とてつもない着想に至ったかというと、光学と力学の理論の類似点に以前から注目し、これらはいつか統合されなければならないという、壮大な構想を抱いていたからでした。

 光線がたどる経路を扱う理論を「幾何光学」と呼びます。幾何光学では、光は通過時間が極小値を通るような最短経路をたどると説明されます。フェルマーの原理と呼ばれます。

 一方、ニュートン力学では、その後に発展した解析力学によって、質点の運動は「作用量が極小値を取る」という意味で最短経路をたどっていると説明できることが明らかにされました。

図2.1 幾何光学と力学のアナロジー。幾何光学では光は通過時間が極小値を通るような最短経路をたどると説明される。通過時間に真空中の光の速度cを乗じると距離の次元となり、これを「光路長」と呼ぶ。屈折率\(n\)の媒質中では光の進む速度が\(c/n\)となるため、真空中の光速cで同じ時間すすんだ場合と比べて光路長は\(n\)倍となる。通過時間が極小値を通るような最短経路は、光路長が極小値を通るような最短経路ともいえる。一方、ニュートンの運動方程式は、運動の経路に沿ったラグランジアン\(L\)の積分(作用)が、端点\(q(t_0)\)と\(q(t_1)\)を固定した変分で停留値を取るという条件から導かれる。

 

 ド・ブロイは、これら最短経路の原理を中心として、光学と力学とを一つに統合できるはずだと考えていたのです。もっとも、光学と力学のアナロジーを指摘していた人はド・ブロイ以前にもいましたが、実際に統合する手段が、昔はなかったのです。その手段というのが、後から振り返ると、アインシュタインの「光量子仮説」と「相対性理論」だった、ということになります。

 ド・ブロイは、アインシュタインの光量子仮説の式、

$$E=h\nu$$

すなわち振動数\(\nu\)の波のエネルギーの最小単位は\(h\nu\)だという式と、相対性理論の有名な式、

$$E=mc^2$$

をイコールとおいて、質量\(m\)を有するあらゆる物質粒子には、\(mc^2/h\)という振動数の振動現象が付随している、という前提から議論を始めました。

「粒子に振動現象が付随する」といわれても、なかなかピンとこないでしょう。ド・ブロイが具体的にどのようなイメージを持っていたのか筆者にはわかりませんが、たぶん、最初はこんなイメージを持っていたのではないかと、勝手な想像を加えながら話を進めます。

図2.2 「粒子に付随する振動現象」のナイーブなイメージ。(あとで、このイメージは大幅に修正されることになります)

 

図2.2に示すように、一定の振動数\(\nu_0\)で振動する何らかの機構、例えばメトロノームみたいなものが、静止質量\(m_0\)の粒子に内在していると考えてみましょう。

ド・ブロイは、この粒子が速度\(v\)で運動しているとして、内部の振動現象がどのように見えるだろうか、ということを、相対性理論に基づいて考察しました。

 相対性理論によると、静止系の時間を\(t_0\)とおいたとき、速度\(v\)で動いている物体の時間は

$$t_0\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}$$

となります。\(c\)は光の速度です。\(v\)は光速を超えることはなく、平方根は1より小さな実数値になります。

 すなわち、静止している観測者から見て、動いている物体の時間はゆっくり進むことになります。時間がゆっくり進むなら、動いている粒子の内部の振動数も低下するはずです。

図2.3 \(h\nu=mc^2\)としたときに生じる矛盾。

 

さて、今度は物体の質量に注目してみましょう。相対性理論によると、静止質量\(m_0\)の物体が速度\(v\)で動くと、その質量は

$$m_0\frac{1}{\sqrt{1-\frac{v^2}{c^2}}}$$

となります。速度が増すほど質量は増えるのです。

 そうなると、ここで矛盾が生じます。質量\(m\)に付随する振動数が

$$\frac{mc^2}{h}$$

だとすると、質量が増えるにつれて振動数も増えなければなりません。時間の遅れに注目すると、粒子に付随する振動数は減るはずなのですが、質量の増大に注目すると、逆にこの振動数は増えてくれないと困ることになります。

 筆者ならここで、「ダメだ。\(E=hν\)と\(E=mc^2\)をイコールで結ぶなんて、やっぱりナンセンスだったんだ」とあきらめてしまうところです。しかし、ド・ブロイはあきらめませんでした。

「そのとき、大いなる光が頭のなかで 突然に輝きわたった」[1]

と、後の回想録でド・ブロイが語っているように、この矛盾を見事に解消する、画期的な描像をド・ブロイは思いついたのでした。

[1] ジョルジュ・ロシャク著,宇田川博訳「ルイ・ド・ブロイ 二十世紀物理学の貴公子」国文社(1995)

ド・ブロイ波(1)

渡邉孝信(早稲田大学・電子物理システム学科)

半導体中の電気の流れを説明するとき、電子を粒子と見立てて説明されることが多いのですが、時として波動とみなした説明もされることがあります。電子をはじめ、光も、原子核も、この世のありとあらゆるものが、波動性と粒子性を兼ね備えているという話は、量子力学を学んでいなくても一度は聞いたことがあるでしょう。

電子は19世紀末、真空放電で陰極から放射される放射線「陰極線」の実験で発見されました。1897年、陰極線の正体がとても小さな荷電粒子らしいことをJJトムソンが突き止めたので、この年が電子の発見年とされています。一方、光は波だと当時考えられていました。1864年にマクスウェルが確立した電磁気学によって、光が電磁波の一種であることが明らかになっていたからです。

もっと時代をさかのぼると、ニュートンは光を粒子だと考えていました。波の干渉模様として知られるニュートン環を研究した当の本人が、光を粒子と想定していたとは、意外に思われるかも知れません。ニュートンは、レンズ間の薄い空気層に侵入した光線が、何らかの原因によって、反射される状態と透過する状態に繰り返し変化していると仮定し、ニュートン環の現象を説明したのです。

ニュートンの「光学」の挿絵の再現図(上)と、透過状態と反射状態を繰り返す光線のイメージ図(下)。「レンズ間の空気には、その様々な厚さに応じて、ある1つの色の光を、ある場所では反射して、他の場所では透過し、また同じ場所では、ある色を反射して、他の色を透過する性向がある[1]」

 

ニュートン以後、ヤングの干渉縞の実験、マクスウェルの電磁気学によって、光は波だということが決定的になっていったのですが、1900年のプランクの量子仮説、1905年のアインシュタインの光量子仮説あたりから、光の素性について議論が再燃しました。

そんな中で現れたのが、ド・ブロイの物質波理論です。ド・ブロイは1923年、光どころか、これまで粒子と考えられてきた電子も波の性質を持っている、と言い出しました。そして、アインシュタインが1917年に光量子に対して導いた運動量と波長の関係式

$$\lambda = \frac{h}{p} $$

が、電子のような物質粒子にも一般に成り立つ、と主張したのです。これを物質波理論と言います。この物質波理論がきっかけの一つとなって、シュレディンガーの波動方程式が誕生し、今の量子力学の基礎が固まりました(なお、シュレディンガー方程式が発表された1926年の前年、ハイゼンベルクが行列力学を発見した1925年が、量子力学の誕生の年とされています)。

Louis de Broglie (1929)  (Wikimedia Commons)

 

ド・ブロイの物質波理論では、アインシュタインの光量子仮説の式

$$E = h\nu$$

と、相対性理論の有名な式、

$$E=mc^2$$

を等しいとおき、

質量\(m\)の粒子には、振動数\(\nu=mc^2/h\)の振動現象が付随しているのではないか

という着想から出発して理論が構築されました[2]。

「粒子に付随する振動現象」とは、いったいどんなイメージを抱けばよいのでしょうか?

筆者がこのシリーズ記事を書いている2024年は、ド・ブロイが物質波の理論をまとめた博士論文[3]が受理された年から100年の節目にあたります。それが動機、というわけでもないのですが、ちょうど振り返る機会がありましたので、ド・ブロイの発見の道筋を、一部想像も交えながら再現してみようと思った次第です。

参考文献
[1] ニュートン著, 島尾永康訳,「光学」岩波書店 (1983).
[2] ジョルジュ・ロシャク著,宇田川博訳「ルイ・ド・ブロイ 二十世紀物理学の貴公子」国文社(1995)
[3] Louis-Victor de Broglie , “On the Theory of Quanta” ド・ブロイの博士学位論文(1924)の英訳

再考:ドライ酸化の初期異常

 完全拡散律速成長モデルでは、ドライ酸化にみられる初期異常の解釈がDeal-Groveモデルの場合と180度変わります。今回は、このことを詳しく見ていきましょう。


 下図は、Deal-Groveモデルと完全拡散律速モデルを並べて比較したものです。微分方程式の概形は全く同じで、放物型定数\(B\)も同じ。違うのは定数\(A\)ですが、

$$\kappa \equiv \frac{D_0}{L\int_{x_0-L}^{x_0}\exp\left [\frac{\Delta E(x)}{k_BT}\right ]dx-L}\label{kappa}\tag{1}$$

とおけば、線形速度定数\(B/A\)の式もDeal-Grove方程式と見た目が一緒になります。「完全拡散律速モデルといっても単に界面反応速度定\(k\)の解釈を変えただけで、何も新しくないじゃないか」と批判されてしまいそうですが・・・、果たしてそうでしょうか。

 重要な変更点は、式\(\eqref{kappa}\)の速度定数\(\kappa\)が拡散係数\(D_0\)に比例するようになった点です。これにより、ドライ酸化にみられる初期異常の解釈がDeal-Groveモデルと変わってくるのです。

Fargeixの解析」の回で、ドライ酸化の初期異常は、界面反応速度定数\(k\)が大きくなるか、あるいは拡散係数\(D_0\)が初期段階で低下していないと説明できない、という話をしました。DealとGroveは1965年の論文[1]で初期増速拡散説を唱えましたが、1983年のこのFargeixの解析[2]で否定されてしまったのです。

 ところが、完全拡散律速モデルでは、この初期増速拡散説が復活します。Fargeixの解析にしたがって、酸化速度の逆数\(dt/dx_0\)の振る舞いを調べてみましょう。拡散係数\(D_0\)が酸化膜厚\(x_0\)に依存するとして、\(dt/dx_0\)を酸化膜厚\(x_0\)で微分すると

$$\begin{eqnarray}\frac{d}{dx_0}\left ( \frac{dt}{dx_0}\right ) &=&\frac{d}{dx_0}\left ( \frac{A}{B}+\frac{2}{B}x_0\right )\\&=&\frac{d}{dx_0}\left ( \frac{A}{B}\right ) +\frac{d}{dx_0} \left (\frac{2}{B}\right )x_0+\frac{2}{B}\\&=&-\left ( \frac{A}{B}+\frac{2}{B}x_0\right )\frac{1}{D_0} \frac{dD_0}{dx_0}+\frac{2}{B}\end{eqnarray}$$

となります。最後の式の第1項

$$-\left ( \frac{A}{B}+\frac{2}{B}x_0\right )\frac{1}{D_0} \frac{dD_0}{dx_0}$$

が初期異常による、線形-放物型曲線からのずれに相当します。Fargeixが示したように、酸化速度の逆数\(dt/dx_0\)の勾配は\(x_0\rightarrow 0\)で増大しますので、\(dD_0/dx_0 <0\)でないといけません。つまり、酸化膜厚が薄くなるほど\(D_0\)が増大しなければ初期異常を説明できなくなるのです。これはDeal-Grove方程式とは真逆の結論です

[1] B. E. Deal, A. S. Grove, J. Appl. Phys. 36, 3770 (1965).
[2] A. Fargeix, G. Ghibaudo, G. Kamarinos, J. Appl. Phys. 54, 2878 (1983).

完全拡散律速モデル(3)

 前回新たに導出した定式化した式をつかって、酸化速度の実験値を再現するような構造遷移領域の厚さ\(L\)を求めてみましょう。

新しい酸化速度方程式では、定数\(B\)はDeal-Grove方程式と一緒ですが、定数\(A\)は

$$A= 2L\int_{x_0-L}^{x_0}\exp \left [ \frac{\Delta E(x)}{k_BT}\right ]dx-2L+2D_0/h\label{a}\tag{1}$$

のように、構造遷移領域の厚さ\(L\)と構造遷移領域内の拡散障壁の増分\(\Delta E(x)\)に依存します。様々な温度における\(A\)の実験値がDeal-Groveの論文[1]に載っていますから、\(\Delta E(x)\)を適当に仮定すれば、実験値から\(L\)を求めることができます。

 式\(\eqref{a}\)の中で、\(2D_0/h\)は無視します。酸化膜中の酸化種の拡散係数\(D_0\)と比べて、気相物質輸送係数\(h\)の方が圧倒的に大きいからです。DealとGroveの論文[1]でもそう仮定して解析していますし、この仮定は全く問題ありません。

 また、\(\Delta E(x)\)ですが、線形速度定数\(B/A\)の活性化障壁が2eVなので、SiO2/Si界面における拡散障壁が約2eVになっていると考えると、\(\Delta E(x_0)\)は活性化障壁2eVから、界面から十分離れた酸化膜中の拡散障壁1.24eVを引いた値となるので

$$\Delta E(x_0) = 2.0 – 1.24 = 0.76 ({\rm eV})$$

とおけます。

 下の表に、\(\Delta E(x)\)の関数形をいくつか適当に仮定して計算した、定数\(A\)の実験値を再現する\(L\)の値を示します。温度によって変わりますが、概ね1nm弱になっていることがわかります。いろいろな実験で指摘されていた、SiO2/Si界面近傍の構造遷移領域の厚さと一致しているので、この完全拡散律速モデルの妥当性を裏付けていると言えるでしょう。

 なお、(c)のDiscretizedモデルは、数原子層程度と非常に薄い構造遷移領域をよりリアルに表現するため、離散化した拡散モデルを用いた場合の結果です。導出は複雑になるのでここでは示していませんが、知りたい方は論文[2]をご覧ください。

[1] B. E. Deal, A. S. Grove, J. Appl. Phys. 36, 3770 (1965).
[2] T. Watanabe, K. Tatsumura, I. Ohdomari, Phys. Rev. Lett., 96, 196102 (2006).

完全拡散律速モデル(2)

今回は、Deal-Groveモデルに代わる、完全拡散律速モデルの式を導出します。

酸化膜中の拡散係数は、次式

$$D(x)=\left \{ \begin{array}{ll}D_0,&x<x_0-L\\D_0 \exp \left [ -\frac{\Delta E(x)}{k_BT}\right ],&x\geq x_0-L\end{array}\right .$$

のように、酸化膜中の大部分では\(D(x)=D_0\)で一定とし、界面\(x=x_0\)近傍の厚さ\(L\)の領域で拡散障壁が変化するモデルを仮定します。\(\Delta E(x)\)が、遷移領域内部での拡散障壁の増分を表します。拡散係数\(D\)が深さ依存性を持つように拡張されている点がDeal-Grove方程式との違いです。

酸化膜中の拡散フラックス\(F_2\)は、フィックの法則から濃度勾配と拡散係数の積で与えられます:

$$F_2=-D(x)\frac{d C(x)}{dx}$$

両辺を\(D(x)\)で割って\(x\)について積分すると

$$\int_0^{x_0}F_2\frac{D(x)}dx=-\int_0^{x_0}\frac{dC(x)}{dx}dx$$

$$F_2\int_0^{x_0-L}\frac{1}{D_0}dx+F_2\int_{x_0-L}^{x_0}\frac{1}{D_0}\exp \left [ \frac{\Delta E(x)}{k_BT}\right ]dx=-\int_{C(0)}^{C(x_0)}dC$$

$$\frac{F_2}{D_0}(x_0-L)+\frac{F_2}{D_0}\int_{x_0-L}^{x_0}\exp \left [ \frac{\Delta E(x)}{k_BT}\right ]dx=C(0)-C(x_0)$$

となります。右辺は、表面のO2濃度\(C(0)=C_0\)と界面のO2濃度\(C(x_0)=C_i\)の差となりますが、完全拡散律速モデルでは界面に到達した酸素は活性化障壁なしで直ちにSiの酸化に消費されるので、\(C(x_0)=C_i=0\)と近似できます。したがって酸化膜中の拡散フラックス\(F_2\)は

$$F_2= \frac{D_0C_0}{x_0-L+L\int_{x_0-L}^{x_0}\exp \left [ \frac{\Delta E(x)}{k_BT}\right ]dx}$$

となります。


 あとはDeal-Grove方程式の導出と同じです。

気相から酸化膜表面へのフラックスを\(F_1=h(C^*-C_0)\)とし、ただいま求めた酸化膜中のフラックス\(F_2\)と定常状態で釣り合うとすると、この定常状態のフラックス\(F\)は

$$F= \frac{D_0C^*}{L\int_{x_0-L}^{x_0}\exp \left [ \frac{\Delta E(x)}{k_BT}\right ]dx-L+D_0/h+x_0}$$

となります。これが、界面の単位面積で単位時間に消費される酸化種分子の個数となります。SiO2膜の単位体積当たりに取り込まれる酸化種分子の個数を\(N_1\)とおくと、

$$\frac{dx_0}{dt}=\frac{F}{N_1}=\frac{D_0C^*/N_1}{L\int_{x_0-L}^{x_0}\exp \left [ \frac{\Delta E(x)}{k_BT}\right ]dx-L+D_0/h+x_0}$$

という、SiO2膜厚\(x_0\)の時間に関する新しい微分方程式が得られます。Deal-Grove方程式と同様に

$$\frac{dx_0}{dt}=\frac{B}{A+2x_0}$$

と簡略化して表記すると、\(A\)と\(B\)はそれぞれ

$$A= 2L\int_{x_0-L}^{x_0}\exp \left [ \frac{\Delta E(x)}{k_BT}\right ]dx-2L+2D_0/h$$

$$B = D_0C^*/N_1$$

となります。放物型定数\(B\)はDeal-Gorveモデルの式と全く同じです。一方、定数\(A\)の方はDeal-Groveモデルと異なります。Deal-Grove方程式では界面における酸化反応速度定数に関係しているのに対し、新しい方程式では、構造遷移領域の厚さ\(L\)と構造遷移領域内の拡散障壁の増分\(\Delta E(x)\)に依存する、やや複雑な式に変わっています。

 

拡散係数もいろいろ(9)

渡邉孝信(早稲田大学・電子物理システム学科)

平均二乗変位と拡散係数の関係

ブラウン運動の理論によると、1次元系の拡散係数\(D\)は

$$\overline{\Delta x^2}=\overline{{(x(t)-x(0))}^2}=2Dt\label{meansquare}\tag{9.1}$$

のように平均二乗変位\(\overline{\Delta x^2}\)に関係づけられます。3次元なら

$$\overline{\Delta r^2}=\overline{{(r(t)-r(0))}^2}=6Dt\tag{9.2}$$

です。

 1次元系において、時間\(t\)を\(n\)個の微小時間\(\Delta t_i\) \((i=1,2,⋯,n)\)に区切り、各微小時間における変位を\(l_i\) \((i=1,2,⋯,n)\)とすると、平均二乗変位\(\overline{\Delta x^2}\)は

$$\overline{\Delta x^2}=\left < {\left(\sum_{i=1}^nl_i \right)}^2 \right >=\sum_{i=1}^n\left < {l_i}^2 \right >+2\sum_{i=1}^{n-1}\sum_{j>i}^n\left < l_il_j \right >\tag{9.3}$$

と書けます。ブラウン運動する粒子の異なる時間の変位は無相関であり、

$$\left < l_il_j \right >=0,\;\;\;\;i\neq j\tag{9.4}$$

が成り立つので、式\(\eqref{meansquare}\)は

$$2Dt=\sum_{i=1}^n\left < {l_i}^2 \right >=n\left< {l}^2 \right >\tag{9.5}$$

と書けます。今、議論を簡単にするため、どの微小時間\(\Delta t_i\)も等しく\(\Delta t_i=\Delta t\)と仮定すると

$$n\left< {l}^2 \right >=2nD\Delta t\tag{9.6}$$

となり、拡散係数は

$$D=\frac{\left< {l}^2 \right >}{2\Delta t}\label{diffusivity9}\tag{9.7}$$

と書けることになります。式\(\eqref{diffusivity9}\)において、\(\Delta t\)を平均自由時間\(\overline{t}\)、\(\left< {l}^2 \right >\)を平均自由行程\(\overline{l}\)の二乗とおくと、1次元系の拡散係数は

$$D=\frac{\overline{l}^2}{2\overline{t}}\label{diffusivity9a}\tag{9.8}$$

3次元では

$$D=\frac{\overline{l}^2}{6\overline{t}}\tag{9.9}$$

となり、1/2の係数がかかることになります。

 前回までの議論で、せっかく\(D=\overline{l}^2/3\overline{t}\)で話がまとまりそうだったのに、ブラウン運動理論を考えたら、1/2の係数の問題が再燃してしまいました。いったいどう考えればよいのでしょうか?

 ここでもやはり、「平均」をどう考えるかが鍵を握っています。式\(\eqref{diffusivity9}\)から式\(\eqref{diffusivity9a}\)に進むとき、\(\left< {l}^2 \right >\)を平均自由行程\(\overline{l}\)の二乗とおいたのですが、この平均操作では、

$$p(l)=\delta(l-\overline{l})\tag{9.10}$$

というデルタ関数分布を暗に仮定していたことになります。この場合、拡散係数は

$$D=\frac{\left< {l}^2 \right >}{2\overline{t}}=\frac{1}{2\overline{t}}\int_0^\infty l^2p(l)dl =\frac{1}{2\overline{t}}\int_0^\infty l^2\delta(l-\overline{l})dl =\frac{\overline{l}^2}{2\overline{t}}\label{diffusivity9b}\tag{9.11}$$

で与えられるのです。ブラウン運動理論では、\(\Delta t\)の間の移動量が\(\overline{l}\)に限定される簡単な酔歩モデルがよく用いられますが、その例では式\(\eqref{diffusivity9b}\)でよいのです。

 一方、衝突イベントが定常ポアソン過程となる場合、自由行程の分布は指数分布

$$p(l)=\frac{1}{\overline{l}}e^{-\frac{l}{\overline{l}}}\tag{9.12}$$

となります。この場合は

$$\begin{eqnarray}D&=&\frac{\left< {l}^2 \right >}{2\overline{t}}=\frac{1}{2\overline{t}}\int_0^\infty l^2p(l)dl =\frac{1}{2\overline{t}}\int_0^\infty l^2\frac{1}{\overline{l}}e^{-\frac{l}{\overline{l}}}dl{\overline{t}}\\&=&\frac{1}{2\overline{t}}\cancel{{\left [- l^2 e^{-\frac{l}{\overline{l}}}\right] }_0^\infty}+\frac{1}{2\overline{t}}\int_0^\infty2le^{-\frac{l}{\overline{l}}}dl\\&=&\frac{1}{\overline{t}}\int_0^\infty le^{-\frac{l}{\overline{l}}}dl\\&=&\frac{1}{\overline{t}}\cancel{{\left [- l\overline{l} e^{-\frac{l}{\overline{l}}}\right] }_0^\infty}+\frac{1}{\overline{t}}\int_0^\infty \overline{l}e^{-\frac{l}{\overline{l}}}dl\\&=&\frac{1}{\overline{t}}\int_0^\infty \overline{l}e^{-\frac{l}{\overline{l}}}dl\\&=&\frac{1}{\overline{t}}{\left [- \overline{l}^2 e^{-\frac{l}{\overline{l}}}\right] }_0^\infty=\frac{\overline{l}^2}{\overline{t}}\tag{9.13}\end{eqnarray}$$

となり、1/2の係数が消えます。3次元の場合はもちろん、

$$D=\frac{\overline{l}^2}{3\overline{t}}\tag{9.14}$$

です。

 

拡散係数もいろいろ(8)

渡邉孝信(早稲田大学・電子物理システム学科)

前回の記事で導出した無衝突で進める確率を用いて、第4回の記事で示した拡散係数を定式化しなおしてみましょう。図8.1に示すように、 \(x\)軸方向に電子密度\(n(x)\)が変化している、温度が一様な導体を考えます。今度は、\(x=x_0\)の面に到達する電子の出発位置を限定せず、距離に応じた到達確率を乗じて全区間で積分することによって、拡散流量を求めます。

図8.1 拡散係数の定式化に用いるモデル

 

\(x=x_0-x_{-}\)の位置にある電子に注目してみましょう。ここにある電子の1/2が\(+x\)方向を向いているので、平均自由時間\(\overline{t}\)内に\(x=x_0\)の面に到達する可能性がある電子は\(\frac{1}{2}n(x_0-x_{-})dx\)です。これに到達確率\(P_{\rm free}(x_{-})\)を乗じた個数が、無衝突で\(x=x_0\)に到達できます。位置\(x_{-}\)から\(+x\)方向に通過する電子の平均流束を\(f_+(x_{-})dx\)とすると、

$$f_+(x_{-})dx=n(x_0-x_{-})P_{\rm free}(x_{-})\frac{dx}{2\overline{t}}\tag{8.1}$$

と書けます。同様に、位置\(x_{+}\)から\(-x\)方向に通過する電子の平均流束\(f_{-}(x_{+})dx\)は

$$f_-(x_{+})dx=n(x_0+x_{+})P_{\rm free}(x_{+})\frac{dx}{2\overline{t}}\tag{8.2}$$

以上から、\(x=x_0\)における\(+x\)方向への正味の流束\(F_x\)は

$$\begin{eqnarray}F_x &=&\int_0^\infty dx \left \{ f_+(x) – f_{-}(x)\right \}\\&=& \int_0^\infty dxP_{\rm free}(x)\frac{1}{2\overline{t}}\left\{n(x_0-x)-n(x_0+x)\right\}\\&=&-\frac{1}{2\overline{t}}\int_0^\infty dxP_{\rm free}(x)\frac{dn}{dx}\cdot 2x \\&=&-\frac{1}{\overline{t}}\frac{dn}{dx}\int_0^\infty  x P_{\rm free}(x)dx\label{netflux}\tag{8.3}\end{eqnarray}$$

となります。

 ここで、前回求めた到達確率の式

$$P_{\rm free}(x)=e^{-\frac{x}{\overline{l_x}}}\tag{8.4}$$

を式\(\eqref{netflux}\)に代入すると、

$$F_x=-\frac{1}{\overline{t}}\frac{dn}{dx}\int_0^\infty x e^{-\frac{x}{\overline{l_x}}}dx=-\frac{\overline{l_x}^2}{\overline{t}}\frac{dn}{dx}=-\overline{v_x}\overline{l_x}\frac{dn}{dx}\tag{8.5}$$

となり、ジィーの本で書かれている拡散係数

$$D=\overline{v_x}\overline{l_x}\tag{8.6}$$

と一致します。3次元なら

$$D=\frac{1}{3}\overline{v}\overline{l}\tag{8.7}$$

です。

 あるいはもし、\(P_{\rm free}(x)\)として

$$P_{\rm free}(x)=\left\{\begin{array}{ll}1,&x\leq\overline{l_x}\\0,&x>\overline{l_x}\end{array}\right.\tag{8.8}$$

を仮定すると、

$$F_x=-\frac{1}{\overline{t}}\frac{dn}{dx}\int_0^{\overline{l_x}} x dx=-\frac{\overline{l_x}^2}{2\overline{t}}\frac{dn}{dx}=-\frac{\overline{v_x}\overline{l_x}}{2}\frac{dn}{dx}\tag{8.9}$$

となり、アンダーソンらの本の拡散係数と同様、1/2の係数がつくことになります。3次元なら

$$D=\frac{1}{6}\overline{v}\overline{l}\tag{8.10}$$

です。

 以上から、ジィーとアンダーソンの拡散係数の違いが、無衝突距離の確率分布の違いで説明できることがわかりました。適切な式はどちらかと言えば、指数関数の到達確率で導かれる

$$D=\frac{1}{3}\overline{v}\overline{l}\tag{8.7 再掲}$$

の方でしょう。


 ここまで詳しく見ていくと、\(D=\overline{v}\overline{l}/3\)という拡散係数の式の導き方にも、いろいろツッコミどころが残ることがわかります。

  • 無衝突で進んだ電子のみカウントしているが、衝突したら電子が停止してしまうわけでないのだから、複数回散乱して\(x=x_0\)面に到達する確率も考慮すべきではないか。
  • そもそも、1回の衝突で過去の運動の履歴が完全に忘却され、次の進行方向が等方的になるという仮定に無理がある。
  • 「\(x=x_0-x_{-}\)の位置にある電子のうち、右向きの速度を持つ1/2の電子が\(x=x_0\)面に到達する可能性がある」としているが、ほとんどゼロに近い\(v_x\)を持っている電子も結構あるので、1/2は過大評価ではないか。この傾向は\(x=x_0\)から離れるほど顕著になるはずである。

上記の指摘は至極真っ当で、このような問題点を改善しようとした仕事も過去に行われたようですが、満足のいく定式化には至っていないようです。無理に係数を特定せず、パウリの本ランダウ-リフシッツの本のように、係数に曖昧さを明示的に残しておくことが、最も誠実な書き方と言えるでしょう。

拡散係数もいろいろ(7)

渡邉孝信(早稲田大学・電子物理システム学科)

距離\(r\)まで無衝突で進める確率を定式化する

電子が無衝突で進める距離\(r\)の確率も、指数分布に従うと考えられます。今回は、この確率分布を簡単なモデルを使って導出してみましょう。

図7.1 等方的散乱の模式図

 

 今、ある電子が、最後に衝突イベントを経験してから、距離\(r\)を無衝突で進んだとし、距離\(r\)と\(r+dr\)の間で次の衝突が起こる確率を考えましょう。この散乱は図7.1に示すように等方的で、衝突後に進む方向は球対称となります。電子の散乱を引き起こす散乱中心の個数密度を\(N_s\)、散乱中心の衝突断面積を\(\sigma\)とおくと、半径\(r\)、厚さ\(dr\)の球殻の体積が\(4\pi r^2dr\)であるので、微小区間\(dr\)の衝突確率は

$$\frac{N_s4\pi r^2 dr\sigma}{4\pi r^2}=N_s\sigma dr\tag{7.1}$$

となります。よって、微小距離\(dr\)を無衝突で進める確率は

$$1-N_s\sigma dr \tag{7.2}$$

です。距離\(r\)を無衝突で進む確率\(p_{\rm free}(r)\)と、距離\(r+dr\)を無衝突で進む確率\(p_{\rm free}(r+dr)\)の間には

$$ p_{\rm free}(r+dr) = p_{\rm free}(r)(1-N_s\sigma)dr\tag{7.3}$$

という関係が成り立つことになります。この式から次の微分方程式

$$ \frac{d p_{\rm free}}{dr}=\frac{p_{\rm free}(r+dr) – p_{\rm free}(r)}{dr}=-N_s\sigma p_{\rm free}(r)\tag{7.4}$$

が導かれるので、一般解を求めると

$$p_{\rm free}(r)=C e^{-N_s\sigma r}\tag{7.5}$$

となります。規格化条件

$$\int_0^\infty p_{\rm free}(r)dr=1\tag{7.6}$$

より、

$$p_{\rm free}(r)=N_s\sigma e^{-N_s\sigma r}\tag{7.7}$$

となります。

 無衝突で進める距離の平均が平均自由行程\(\overline{l}\)なので、

$$\overline{l}=\int_0^\infty rp_{\rm free}(r)dr=\int_0^\infty rN_s\sigma e^{-N_s\sigma r}dr=\frac{1}{N_s\sigma}\tag{7.8}$$

よって、\(p_{\rm free}(r)\)は

$$p_{\rm free}(r)=\frac{1}{\overline{l}}e^{-\frac{r}{\overline{l}}}\tag{7.9}$$

と表されます。

  ここで少し視点を変えて、今\(r=0\)の位置にある電子が、この先\(r\)まで無衝突で進める確率はどのくらいか?、という問題を考えてみましょう。\(p_{\rm free}(r)dr\)は「\(r\)と\(r+dr\)の区間で初めて次の衝突が起こる確率」を表していますから、距離\(r\)進む間のどこかで衝突が起こる確率は、累積確率

$$\int_0^r p_{\rm free}(r^\prime)dr^\prime\tag{7.10}$$

で表されます。ということは、距離\(r\)進む間に衝突が起きない確率を\(P_{\rm free}(r)\)とすると、

$$P_{\rm free}(r)=1-\int_0^r p_{\rm free}(r^\prime)dr^\prime=e^{-\frac{r}{\overline{l}}}\tag{7.11}$$

と表せることになります。